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940件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2000-03-09 第147回国会 衆議院 憲法調査会 第4号

そこで、加藤シヅエさんが、加藤勘十の奥さんだということもありますが、戦前から労働運動をされたり、あるいは産児制限運動などにかかわってきたという自分の経験から、特に働く女性とか、あるいは当時、寡婦の人権という言い方をしておったと思いますけれども、そういうことを強く主張されるわけです。  

古関彰一

1998-04-23 第142回国会 衆議院 行政改革に関する特別委員会 第6号

なかなか懐かしい顔ぶれが出ていて、加藤勘十君だとか山下春江君、江崎真澄君等々です。そして、その論議を踏まえて、衆議院会議で、労働委員長加藤勘十氏はこのように述べました。「労働省設置の眼目は、従来各省に分属していた労働行政を一元的に統合し、もって総合的かつ強力なる労働政策を実施することにあると思われるが、この点において本法案はなお不十分である、」本法案というのは当時の労働省設置法です。

児玉健次

1988-04-07 第112回国会 参議院 予算委員会 第19号

その質問者は、今の衆議院議員、当時自由党、四十歳、当選二回議員原健三郎さんであって、お答えになっておるのは当時の労働大臣、大先輩加藤勘先生であったと。だからやっぱり、ははあ、いろいろな経過というものが歴史の中には存在すると。それらをすべて総合して、その時期に最も適切な税制を確立することこそ与えられた使命ではなかろうか。したがって、これを撤回しろと。

竹下登

1987-05-20 第108回国会 参議院 本会議 第11号

今回、事態収拾を図った原議長は、当時民主自由党代議士として、芦田内閣にあって日本社会党加藤勘国務大臣に、衆議院予算委員会の場で、取引高税導入をめぐる政府の態度を追及しております。このとき加藤勘国務大臣は、政府財政運営のために間接税である取引高税導入が避けられない旨をるる述べ、これが速記録に残されております。

村上正邦

1986-12-09 第107回国会 衆議院 決算委員会 第3号

特に労働省は、昭和二十二年に初めて労働法が制定をされまして、労働省設置をされ、米窪初代大臣、また加藤勘大臣と、労働運動経験の中から戦後の労働行政が出発をいたしたのであります。  その間、いろいろと労働運動流れがございました。そして、新しく労働運動流れが変わりつつあるわけであります。全民労協から全民労連という新しい労働組合ナショナルセンターも間近になってきたと思います。

大矢卓史

1978-04-05 第84回国会 衆議院 外務委員会 第11号

亀山幸三という人の「戦後日本共産党の二重帳簿」という本によると、もちろんこの人は昭和七年、私が生まれた年に、延安に亡命をして、昭和十年にはアメリカに寄っておりますが、アメリカに寄っておって加藤勘十と会っております。そして延安に入って岡野進と名前を変えて、日本人のくせに日本人を撃っておった男でございます。

中山正暉

1976-09-30 第78回国会 衆議院 予算委員会 第1号

これを初めといたしまして、齋藤隆夫幣原喜重郎北村徳太郎川崎秀二加藤勘十、鈴木茂三郎吉田茂星島二郎、西尾末廣、春日正一徳田球一等々の諸先生を初めといたしまして小澤佐重喜倉石忠雄、こういう人たちが議会の尊厳を守り、国民の知る権利にこたえようとして全部証人台に出ていられる。  

小林進

1974-03-22 第72回国会 衆議院 本会議 第19号

鈴木茂三郎加藤勘十、大内兵衛美濃部亮吉、これらの人たち、いわゆる人民戦線事件がそれであります。四年間の獄中生活が終わっても、終戦までは、思想犯保護観察法によって政治活動を禁止され、一切の自由を奪われてまいりました。  終戦を迎え、昭和二十年、日本社会党の結党に参加、同二十一年、衆議院議員に当選いたしました。  

赤松勇

1973-07-11 第71回国会 衆議院 外務委員会 第29号

それで、これは加藤勘十さんや曽祢益さんに対する答えとして言っておりますが、ここに、これは昭和二十九年四月十二日の参議院会議でのもので、なお原爆実験に対して協力するということを私は日米協会において演説をしましたが、それはそのとおりでございます、と言いまして、何と言っているかというと、「元来、本参議院の本会議における原子力禁止等の決議を見ますれば、その中には「原子力の有効な国際管理の確立、原子兵器禁止並

瀬長亀次郎

1973-02-28 第71回国会 衆議院 逓信委員会 第3号

この奪った経過については、あなたもよく御承知のように、これは芦田内閣のときに社会党加藤勘十さんというのが労働大臣で、そして政令二百一号というので奪ったわけです。それまでは憲法二十八条の規定によって官公庁労働者公企体労働者もみんなストライキ権を持っていたのです。これはアメリカ軍事占領下のいわゆる軍事的な支配のもとでこれを奪ったわけです。つまり異常な事態でこれをやったわけです。

土橋一吉

1969-12-01 第62回国会 衆議院 文教委員会 第1号

   理事 高見 三郎君 理事 谷川 和穗君    理事 西岡 武夫君 理事 唐橋  東君    理事 長谷川正三君 理事 鈴木  一君       稻葉  修君    久野 忠治君       周東 英雄君    鈴木 善幸君       竹下  登君    中村庸一郎君       南條 徳男君    二階堂 進君       広川シズエ君    藤波 孝生君       増田甲子七君    加藤 勘

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1969-10-15 第61回国会 衆議院 文教委員会 第37号

昭和四十四年十月十五日(水曜日)     午前十一時四十八分開議  出席委員    委員長 大坪 保雄君    理事 久保田円次君 理事 河野 洋平君    理事 西岡 武夫君 理事 長谷川正三君    理事 鈴木  一君       稻葉  修君    中村庸一郎君       南條 徳男君    井上 普方君       小川 三男君    加藤 勘十君       小林 信一君    斉藤 正男君

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1969-08-05 第61回国会 衆議院 逓信委員会 第36号

同月二十三日  委員古内広雄君、安宅常彦君及び中野明辞任  につき、その補欠として岡崎英城君、加藤勘十  君及び樋上新一君が議長指名委員に選任さ  れた。 同日  委員樋上新一辞任につき、その補欠として中  野明君が議長指名委員に選任された。 同月二十四日  委員武部文辞任につき、その補欠として實川  清之君が議長指名委員に選任された。

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1969-08-05 第61回国会 衆議院 地方行政委員会 第57号

  一五四 同(石田宥全君紹介)(第二一二四       号)   一五五 同(石野久男紹介)(第二一二五       号)   一五六 同(石橋政嗣君紹介)(第二一二六       号)   一五七 同(板川正吾紹介)(第二一二七       号)   一五八 同(稻村隆一君紹介)(第二一二八       号)   一五九 同(小川三男紹介)(第二一二九       号)   一六〇 同(加藤勘十君紹介

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